はるか2000年の時を超え古の神々の懐に抱かれる森

大山は丹沢連峰の東に位置する、独立峰です。

美しい稜線を描く標高1234Mの秀麗な大山は関東一円からその山容を見ることができます。

はるか縄文の昔から霊山として信仰を集め、別名「あふりやま」と呼ばれています。相模湾から吹き付ける海風が

大山にぶつかり、雲となって雨を降らすためにこう呼ばれてきました。農民に恵みの雨をもたらし、漁民には標となる

山でした。

山頂には2107年前の創建とされる「大山阿夫利神社」中腹には1345年前の開山の古刹「雨降山、大山寺」があります。

大山は神仏習合の聖域なのです。今の街並みが形成されたのは1605年の一山大改革の告示以降です。

江戸時代には庶民の間で大山参詣が大流行し、浮世絵や落語の「大山詣り」で今に伝えられています。

当時が起源の「大山とうふ」や「大山能」は訪れるものを前向きにさせる信仰の世界へと誘います。

春は薄墨、初夏は新緑、秋は紅葉に衣替えする大山の深い森に佇み、神々の息吹を感じてみませんか。

大山阿夫利神社

大山阿夫利神社は本社(本殿)が大山山頂に下社(拝殿)が中腹にあり、社殿の創建は10世紀前半とされています。

正史に登場するのは延喜式神名台帳で729年ころには中央政府に認識されていたと考えられます。

祀られているのは大山衹大神で天照大神の兄神にあたり、第一代神武天皇の外曾祖父とされる尊い神です。熱心に帰依

すれば、必ず大願成就するとされています。

山頂の社殿は、大山寺開山時に祀られた巨大な自然石(石尊大権現)非公開を囲むように並び、重厚で落ち着いた

雰囲気です。

雨降山 大山寺

大山縁起等によると大山寺は天平勝宝7年755年良弁僧正によって開山されたといわれてます。

正史に登場するのは1184年の吾妻鏡に記されてのが最初です。。

その後第三世として入山した弘法大師は現在大山7不思議とされる霊地信仰を確立、華厳、真言、天台の

八学兼学の道場となり各地からの信者が集まって多いに栄えます。

そして源頼朝、徳川家康ら時の権力者たちの信仰を得、それが庶民にまで広がっていきました。

宿坊

各宿坊はそれぞれ宗教法人資格を持ち宿坊内に神社を祭っています

当宿坊は江戸時代初期より続いています。、文献にみられるのは1786年(天明6年)の「大山寺社魂裸」に和田岩太夫とし

て記載されています。当時の所在地は別所町町内にとなっています。

1877年(明治10年)の資料で、 現在地新町に移っています。

当時の檀家数は75廻町村2201軒を数え神奈川 千葉 埼玉 東京にありました。

江戸時代大山は、江戸庶民の信仰を集め大山詣りは一大ブームとなりました。宝暦年間には「盆山詣り(夏山)」に

約十万人の参拝者ガあったとされています。

このころ大山を下りて関東各地で布教に努め信者組織(講社)を作り大山へ誘ったのが「先導師」と呼ばれる人々です。

先導師は本来修験者で、信者に代わって無病息災を祈ることを職業とした「御師(御祈御祷師、御祷師)」の略号でした。

彼らはやがて講社たちの「大山詣り」の道中や参詣に関するすべてを行う、指導的立場の先導師となります。

また参詣時に自らの宅に信者を宿泊させるようになりこれが「宿坊」へと発展しました。

大山参詣の講社の方が着用する行衣(各宿坊に講社の行衣を預けてあり参拝登山時に着用します)

大山街道

現在の赤坂を基点に青山、渋谷、三軒茶屋、瀬田を経て二子玉川で多摩川を渡り溝口、荏田、長津田、厚木、伊勢原を

通って大山への道のりを2,3日で歩き先導師の家で1泊して翌朝参拝帰りは東海道へ出て藤沢、江ノ島、鎌倉、金沢八景

などを見学する、行楽と娯楽的趣味がたぶんにあったことを感じさせます。

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